第49回「ボロ電」
山梨交通電車線。
甲府駅前と、富士川町の甲斐青柳、20.3キロ、
26の駅を55分ほどで結んでいた、単線1車両の鉄道を、
人々は親しみを込めて、
「ボロ電」と呼んでいました。
富士川町(旧増穂町)の「利根川公園」に、
懐かしい車両が展示されています。
昭和23年に製造された車両。
導入された際には、
真新しい車両に、靴を脱いで乗る人もいたとか。
昭和5年に誕生し、昭和7年に全線が開通。
当時は主に農閑期や休日に、
甲府に出る人々が利用していました。
昭和20年の甲府空襲では、
上石田駅に車両が避難したため無事で、
すぐに輸送が開始され、復興に大きく貢献しました。
戦後、自動車の発展と共に、利用者が減少。
線路は次第に、草の生えた管理の悪いものに。
これが「ボロ電」というあだ名の由来です。
そして昭和37年、鉄道は廃止されました。
その後、この車両は神奈川県の江ノ島電鉄などで活躍。
昭和61年、24年ぶりに里帰りを果たし、
ここは、かつての長沢駅と長沢新町駅の間、
線路の跡は、車道となった現在も、
「廃軌道」と呼ばれています。
わずか32年の運行ながら、激動の時代を歩み、
地域の発展に貢献したボロ電。
山梨の交通輸送の歴史に、
燦然と輝く記憶です。
2017年3月30日 15:39